嫁子に読んでほしくない作品ベスト5
かなり極悪なリストになってしまった。後半は、嫁子に読んでほしくないというよりも、人として読むべきでない。もちろん、わたしは大好きなので、明らかにおかしい。興味本位は止めておけ、性差ツッコミは無駄無駄無駄ァ、むしろこいつを超える作品があれば激しく募集する。
では始める。
バタイユもサドも潤一郎も、淫蕩モノとして好きだー、けど嫁さんに言わせると「無駄にエロい」らしい。激・し・く・同・意。むしろ乱歩やヤプーが何でないんだろうね。まぁ、エロ特性は人それぞれということで。
また、半強制的にハルヒや名雪(京アニ)を観せてるので、嫁さんはわたしの趣味を知っている。かつ、エロ倉庫は既に発見されているので、今さら隠すものもない。
それでも、これだけは嫁に知られたくないというか、読まれたくないという作品がある。その存在すら知らずに一生を終えてほしいと願う、そんな作品がある。劣情鬼畜系とでもいうべきか。「極エロ」というべきか。
もちろん、事実は小説よりもナントカで、新聞を読むほうが暗澹とさせられる。が、読んだことを激しく後悔するような「作品」もある。おかげで、記憶ごと消したくなるようなおぞましい事件を、「作品」という形でくり返し思い出し、味わうことができる(吐き気をね)。
これまで「劇薬小説」シリーズで紹介してきたが、ここでは、小説に限定せず、ノンフィクション、マンガも含めた劣情鬼畜作品を並べてみる。ああ、メガストアとか桃姫とかは入れていないので安心して、もっと非道いから。だから以下の作品は覚悟完了の上でどうぞ。
第5位 目玉の話(バタイユ)
「眼球譚」やね。新訳「目玉の話」では、告白体のしゃべりがくだけた感じになり、さらに読みやすくなっている。
特に目を引いたのが「玉」の語感。原文にある、"oeuf","oeil","couille"(ウフ、ウエ、クエ)の音感を、「目玉」、「玉子」、「金玉」と「玉」でつなげて訳しているのは素晴らしい。また、性器一帯を「尻」で統一しているのも良い感じ。
エロスの極限に神性をもってきているのが鼻に付くが、冒涜行為は「神」相手でないとできないから仕方ないか。より強いショックを受けるには、キリスト教に入信するか、ヘーゲルを読んでおくといいらしい。
わたしの脳に、「セックスと排尿」をバインドした張本人がバタイユ。愛し合う男女はセックスの際、尿をかけあうという誤った刷りこみのおかげで、変態あつかいされますた。余談だが、かわいい女の子が顔まっかにしておもらしするエロマンガの最高峰はぢたま某「聖なる行水」。「目玉」に辟易したらどうぞ。
バタイユを含む、「人生を狂わせる毒書案内」は→「読んではいけない」をどうぞ。
第4位 城の中のイギリス人(マンディアルグ)
性の饗宴ではなく、性の狂宴。女性器をバラや口唇にたとえる人がいるが、これを読むと、できたての裂傷に見えるようになる(かも)。
圧巻なのはタコ地獄。タコが蠢く水槽へ少女(13歳処女)を投げ込む→タコとスミまみれの彼女(顔にもタコべったり)を犯す→鮮血とスミと白い肌のコントラストがまぶしい。その後、ブルドック2匹に獣姦させる。終わったらカニの餌。
あと、マジ吐けるのはラストの「実験」。鋭利なカミソリで皮脂まで切られ、果物のようにクルリと皮を剥かれた顔を眺めながらヤるところ。嘔吐と勃起の両方が味わえるからふしぎー、体の上下でつながっているのかね。
要するに、普通の人には弱いけど、食糞・飲尿、なんでもこい、なんでもこーい、残虐・陵辱、ぴきぴきドカーン!たちまちお城が大噴火するお話。
まともな人は、読んではいけない(過去のエントリ→【18禁】スゴ本+劇薬小説「城の中のイギリス人」)
第3位 隣の家の少女(ケッチャム)
嘔吐と勃起が止められないといえばこれ。読んだ時期が悪かった。うっかり「少女」をジョディ・フォスターにしちゃったからサァたまらない。「君がいた夏」どころか、「13金」(最初のやつ)の マ マ の 顔 が脳に染み込んでくる。
もうね、この本を読んだという記憶ごと抹消したいぐらい後悔している。あと「ケッチャム」という名も、知らなかったことに。あまりにも面白すぎる・闇すぎるので。ケッチャムを通じて、他人の闇をのぞき見るのではない。わたしの闇がよく見えるんだ。
この作品を一言で表すなら「読むレイプ」。陰惨な現場を目の当たりにしながら、見ること以外何もできない"少年"と、まさにその描写を読みながらも、読むこと以外何もできない"わたし"がシンクロする。見る(読む)ことが暴力で、見る(読む)ことそのものがレイプだと実感できる。「読者」は、決して、安全ではない。読む(見る)ことにより取り返しのつかない自分になってしまう。
「隣の家」を頂点とした劇薬小説のリスト→劇薬小説【まとめ】。
第2位 真・現代猟奇伝(氏賀Y太)
読・む・な。まさしく毒書となることを約束する。マンガだから「どくいりマンガ」。まず、読んだことがある、というだけで性格を疑う。ましてや「大好きだー」なんていうやつぁ、イカれているよ、わたしは好きだけど。
氏賀Y太のおかげで、内臓ファックやら顔面崩壊といったワザを知ることになった。腹を裂いてヤるなんて、おかしいよ。吊り・焼鏝・股裂・食糞・腹腔ファック・串刺・正中切開・脳姦・解体刑…あらゆるキチガイが詰まっている逸品。
女子高生コンクリート詰め殺人事件は、ページをめくるのが恐くてたまらなくなった。描写や展開が恐いのではなく、ページをめくろうとする自分の壊れっぷりにおののいたのだ。「おかしい」自分を充分に意識して、読んだ。食人社会ネタはブラックユーモアだと誤解して、ゲタゲタ笑った自分が恐ろしい。壊れやすいのは人体ではない、わたしだ。
「現代猟奇」を頂点とした劇薬マンガのリスト→劇薬マンガレビュー。
――と、ここまで走ってきたけど大丈夫? え? バタイユが可愛く見える?
うん、「バタイユ大好きー」な女の子なら、むしろお近づきになりたいものよ(エロスについて、女子とマジメに語ることは心躍るイベント)。だけど、ケッチャム大好きっ子や猟奇っ子は、人としてどうかしているぞ。もちろん、わたしは好きなので、激しくどうかしているよ!類友~なら、ひょっとすると嫁さんも素質があるのかもしれんが、世の中には知らないほうがいいことがあるということで。
じゃぁラスト、いってみよう。
第1位 死体のある光景(キャサリン・デューン)
カリフォルニアの殺人捜査刑事が個人鑑賞用に収集した膨大な「死体のある風景」のスクラップ。モノクロとはいえ、モロ出し死体画像をこれでもかというくらい堪能できる。
ポートレイトというものは、「見られる」ことを意識している。たとえ無断で隠し撮ったものであれ、人の顔が外側についている限り、他者の視線が載っている(だから無自覚な喜怒哀楽の瞬間を撮った写真が"良い"とされるんだ)。
しかし、ここに写る「人」もしくは「人塊」は、そうした意識がない。だから、人の形をしていながら、モノのように眺めることができる。いちばん切実な「自分の死」を想像しても抽象的にしか考えられないが、ここでの死はとても具体的。たとえば、
圧死、焼死、爆死、轢死、縊死、壊死、煙死、横死、怪死、餓死、狂死、刑死、惨死、自死、焼死、情死、水死、衰死、即死、致死、墜死、溺死、凍死、毒死、爆死、斃死、変死、悶死、夭死、轢死、老死、転落死、激突死、ショック死、窒息死、失血死、安楽死、中毒死、傷害致死
メッタ刺しにされた売春婦のスカートがまくりあげられ、下着が奪われ、局部がむきだしになっている。もう死んだ体なのに、モノクロ写真のせいで「魅力的」に見えないはずなのに、すげぇ興奮する。
なぜか?
それは、もう「見られる」ことを意識しなくなったから。わたしの視線を好きなだけ塗りつけることができるから。
ほら、あれだ。グラビアのヌード写真に興奮する男の子といっしょ。裸の女の子は、カメラを向いていても「あなた」を見ているわけではない(←そして「あなた」はそれを知っている!)。絶対安全な位置から、すきなだけ「見る」ことができる悦び。しかもこれは死体だから、「見られる」ことなんて知ったこっちゃない。こっちを向いていてもカメラすら見ていないんだから。こうして、死体の女を二重に支配することができる。
ここまでくると、2chの「死姦して人生狂ったけど質問ある?」[参照]元医者の告白がすごくよく理解できる。たとえばこうだ、
> なんだろうな
> 完全に起きる事の無い相手を犯す事に興奮するのかな?
> それとも無抵抗の相手だからこそ興奮するのかな?
> 完璧に相手の意思を無視してするセックスは最高だぞ
わたしは、死姦のシュミは(たぶん)ないけれど、分かる。この人は、
> 死体愛好家だった
> 医者の見習いだった
> ちょっと犯してみた
> 監視カメラついてた
> 警察来た
> 人生オワタwwwwww
そして「死姦したこと後悔したことある?」という質問に、
> これははっきり言うけど無いよ。
> 死体を犯すと自分が一段階成長して人としての高みに上ってる感覚があるんだよ
> その犯した人を完全に乗り越えたって感じ?
> とりあえず生きてる人間と同意のセックスをしてもあの感覚は絶対に無い
あー、分かる、分かってしまう。彼と同じ「気持ち」になれる。ものすごく逆説的なんだけど、正気のリミッターが解除されるまで死体を眺めているうちに、おれは生きているぞー、としみじみ思えてくる。
吐き気と征服欲の両方を味わえ。おお、嘔吐と勃起、死とセックス。タブーはいつも、自分の内側にある、そいつを打ち破れ。エロスの根源的なところを体感せよ、そいつはタブーの向こう側、「自分の死」と同じ場所にある。タブーって奴ぁ、「自分の死」から目をそらすためにも役立っているのだから。
わたしの死亡率は100%であることを、あらためて思い知らされるんだ。
では始める。
バタイユもサドも潤一郎も、淫蕩モノとして好きだー、けど嫁さんに言わせると「無駄にエロい」らしい。激・し・く・同・意。むしろ乱歩やヤプーが何でないんだろうね。まぁ、エロ特性は人それぞれということで。
また、半強制的にハルヒや名雪(京アニ)を観せてるので、嫁さんはわたしの趣味を知っている。かつ、エロ倉庫は既に発見されているので、今さら隠すものもない。
それでも、これだけは嫁に知られたくないというか、読まれたくないという作品がある。その存在すら知らずに一生を終えてほしいと願う、そんな作品がある。劣情鬼畜系とでもいうべきか。「極エロ」というべきか。
もちろん、事実は小説よりもナントカで、新聞を読むほうが暗澹とさせられる。が、読んだことを激しく後悔するような「作品」もある。おかげで、記憶ごと消したくなるようなおぞましい事件を、「作品」という形でくり返し思い出し、味わうことができる(吐き気をね)。
これまで「劇薬小説」シリーズで紹介してきたが、ここでは、小説に限定せず、ノンフィクション、マンガも含めた劣情鬼畜作品を並べてみる。ああ、メガストアとか桃姫とかは入れていないので安心して、もっと非道いから。だから以下の作品は覚悟完了の上でどうぞ。
第5位 目玉の話(バタイユ)
「眼球譚」やね。新訳「目玉の話」では、告白体のしゃべりがくだけた感じになり、さらに読みやすくなっている。
特に目を引いたのが「玉」の語感。原文にある、"oeuf","oeil","couille"(ウフ、ウエ、クエ)の音感を、「目玉」、「玉子」、「金玉」と「玉」でつなげて訳しているのは素晴らしい。また、性器一帯を「尻」で統一しているのも良い感じ。
エロスの極限に神性をもってきているのが鼻に付くが、冒涜行為は「神」相手でないとできないから仕方ないか。より強いショックを受けるには、キリスト教に入信するか、ヘーゲルを読んでおくといいらしい。
わたしの脳に、「セックスと排尿」をバインドした張本人がバタイユ。愛し合う男女はセックスの際、尿をかけあうという誤った刷りこみのおかげで、変態あつかいされますた。余談だが、かわいい女の子が顔まっかにしておもらしするエロマンガの最高峰はぢたま某「聖なる行水」。「目玉」に辟易したらどうぞ。
バタイユを含む、「人生を狂わせる毒書案内」は→「読んではいけない」をどうぞ。
第4位 城の中のイギリス人(マンディアルグ)
性の饗宴ではなく、性の狂宴。女性器をバラや口唇にたとえる人がいるが、これを読むと、できたての裂傷に見えるようになる(かも)。
圧巻なのはタコ地獄。タコが蠢く水槽へ少女(13歳処女)を投げ込む→タコとスミまみれの彼女(顔にもタコべったり)を犯す→鮮血とスミと白い肌のコントラストがまぶしい。その後、ブルドック2匹に獣姦させる。終わったらカニの餌。
あと、マジ吐けるのはラストの「実験」。鋭利なカミソリで皮脂まで切られ、果物のようにクルリと皮を剥かれた顔を眺めながらヤるところ。嘔吐と勃起の両方が味わえるからふしぎー、体の上下でつながっているのかね。
要するに、普通の人には弱いけど、食糞・飲尿、なんでもこい、なんでもこーい、残虐・陵辱、ぴきぴきドカーン!たちまちお城が大噴火するお話。
まともな人は、読んではいけない(過去のエントリ→【18禁】スゴ本+劇薬小説「城の中のイギリス人」)
第3位 隣の家の少女(ケッチャム)
嘔吐と勃起が止められないといえばこれ。読んだ時期が悪かった。うっかり「少女」をジョディ・フォスターにしちゃったからサァたまらない。「君がいた夏」どころか、「13金」(最初のやつ)の マ マ の 顔 が脳に染み込んでくる。
もうね、この本を読んだという記憶ごと抹消したいぐらい後悔している。あと「ケッチャム」という名も、知らなかったことに。あまりにも面白すぎる・闇すぎるので。ケッチャムを通じて、他人の闇をのぞき見るのではない。わたしの闇がよく見えるんだ。
この作品を一言で表すなら「読むレイプ」。陰惨な現場を目の当たりにしながら、見ること以外何もできない"少年"と、まさにその描写を読みながらも、読むこと以外何もできない"わたし"がシンクロする。見る(読む)ことが暴力で、見る(読む)ことそのものがレイプだと実感できる。「読者」は、決して、安全ではない。読む(見る)ことにより取り返しのつかない自分になってしまう。
「隣の家」を頂点とした劇薬小説のリスト→劇薬小説【まとめ】。
第2位 真・現代猟奇伝(氏賀Y太)
読・む・な。まさしく毒書となることを約束する。マンガだから「どくいりマンガ」。まず、読んだことがある、というだけで性格を疑う。ましてや「大好きだー」なんていうやつぁ、イカれているよ、わたしは好きだけど。
氏賀Y太のおかげで、内臓ファックやら顔面崩壊といったワザを知ることになった。腹を裂いてヤるなんて、おかしいよ。吊り・焼鏝・股裂・食糞・腹腔ファック・串刺・正中切開・脳姦・解体刑…あらゆるキチガイが詰まっている逸品。
女子高生コンクリート詰め殺人事件は、ページをめくるのが恐くてたまらなくなった。描写や展開が恐いのではなく、ページをめくろうとする自分の壊れっぷりにおののいたのだ。「おかしい」自分を充分に意識して、読んだ。食人社会ネタはブラックユーモアだと誤解して、ゲタゲタ笑った自分が恐ろしい。壊れやすいのは人体ではない、わたしだ。
「現代猟奇」を頂点とした劇薬マンガのリスト→劇薬マンガレビュー。
――と、ここまで走ってきたけど大丈夫? え? バタイユが可愛く見える?
うん、「バタイユ大好きー」な女の子なら、むしろお近づきになりたいものよ(エロスについて、女子とマジメに語ることは心躍るイベント)。だけど、ケッチャム大好きっ子や猟奇っ子は、人としてどうかしているぞ。もちろん、わたしは好きなので、激しくどうかしているよ!類友~なら、ひょっとすると嫁さんも素質があるのかもしれんが、世の中には知らないほうがいいことがあるということで。
じゃぁラスト、いってみよう。
第1位 死体のある光景(キャサリン・デューン)
カリフォルニアの殺人捜査刑事が個人鑑賞用に収集した膨大な「死体のある風景」のスクラップ。モノクロとはいえ、モロ出し死体画像をこれでもかというくらい堪能できる。
ポートレイトというものは、「見られる」ことを意識している。たとえ無断で隠し撮ったものであれ、人の顔が外側についている限り、他者の視線が載っている(だから無自覚な喜怒哀楽の瞬間を撮った写真が"良い"とされるんだ)。
しかし、ここに写る「人」もしくは「人塊」は、そうした意識がない。だから、人の形をしていながら、モノのように眺めることができる。いちばん切実な「自分の死」を想像しても抽象的にしか考えられないが、ここでの死はとても具体的。たとえば、
圧死、焼死、爆死、轢死、縊死、壊死、煙死、横死、怪死、餓死、狂死、刑死、惨死、自死、焼死、情死、水死、衰死、即死、致死、墜死、溺死、凍死、毒死、爆死、斃死、変死、悶死、夭死、轢死、老死、転落死、激突死、ショック死、窒息死、失血死、安楽死、中毒死、傷害致死
メッタ刺しにされた売春婦のスカートがまくりあげられ、下着が奪われ、局部がむきだしになっている。もう死んだ体なのに、モノクロ写真のせいで「魅力的」に見えないはずなのに、すげぇ興奮する。
なぜか?
それは、もう「見られる」ことを意識しなくなったから。わたしの視線を好きなだけ塗りつけることができるから。
ほら、あれだ。グラビアのヌード写真に興奮する男の子といっしょ。裸の女の子は、カメラを向いていても「あなた」を見ているわけではない(←そして「あなた」はそれを知っている!)。絶対安全な位置から、すきなだけ「見る」ことができる悦び。しかもこれは死体だから、「見られる」ことなんて知ったこっちゃない。こっちを向いていてもカメラすら見ていないんだから。こうして、死体の女を二重に支配することができる。
ここまでくると、2chの「死姦して人生狂ったけど質問ある?」[参照]元医者の告白がすごくよく理解できる。たとえばこうだ、
> なんだろうな
> 完全に起きる事の無い相手を犯す事に興奮するのかな?
> それとも無抵抗の相手だからこそ興奮するのかな?
> 完璧に相手の意思を無視してするセックスは最高だぞ
わたしは、死姦のシュミは(たぶん)ないけれど、分かる。この人は、
> 死体愛好家だった
> 医者の見習いだった
> ちょっと犯してみた
> 監視カメラついてた
> 警察来た
> 人生オワタwwwwww
そして「死姦したこと後悔したことある?」という質問に、
> これははっきり言うけど無いよ。
> 死体を犯すと自分が一段階成長して人としての高みに上ってる感覚があるんだよ
> その犯した人を完全に乗り越えたって感じ?
> とりあえず生きてる人間と同意のセックスをしてもあの感覚は絶対に無い
あー、分かる、分かってしまう。彼と同じ「気持ち」になれる。ものすごく逆説的なんだけど、正気のリミッターが解除されるまで死体を眺めているうちに、おれは生きているぞー、としみじみ思えてくる。
吐き気と征服欲の両方を味わえ。おお、嘔吐と勃起、死とセックス。タブーはいつも、自分の内側にある、そいつを打ち破れ。エロスの根源的なところを体感せよ、そいつはタブーの向こう側、「自分の死」と同じ場所にある。タブーって奴ぁ、「自分の死」から目をそらすためにも役立っているのだから。
わたしの死亡率は100%であることを、あらためて思い知らされるんだ。