この本がエロい!2018
概念としての女が好きだ。
うなじにかかる後れ毛、鎖骨や背骨のしっとりとした盛り上がり、二の腕やふくらはぎの肌感、「あの気配」としか言いようのないフェロモンは好ましい。
さらに、ネコそっくりのくぐもった笑いや、サカリのついた艶やかな嬌声、触れるたびにトーンが変化してゆく概念も好ましい。女は楽器だ。腰の律動に応じた打楽器のようにも、手や口の運指により奏でられる弦楽器であり吹奏楽器のようにも振舞う。
しかし、現実はそれら以外もひっくるめての「女」である。言っただの言わないだのくだらないマウンティングや、機嫌を直すためのめんどくさい手続き、イライラの被曝・感情爆風の巻き込まれといった現実も漏れなくついてくる。
そんな現実をさっぴいて、概念のみを味わうのであれば2次元が良い。「女は2次元に限る」というのは、けしてリアルから目を背けているのではなく、概念としての女を楽しむための手段なのである。
一般にアブノーマルと判定される行為や、現実なら淫行条例に触りまくる相手の、「概念」とつきあうのである。「そんなの都合良すぎ、ないわー」というツッコミ上等。都合が悪いのは現実だけで充分だ。
そんな「概念としての女」を背景として、恒例となりつつある「えっちな本2018ベスト」をご紹介しよう。
写真とフェチ 視線のエロティシズム
花盛友里、須崎祐次、相澤義和、山本華漸ほか
今年のベストフェチ。
「概念としての女」のパーツパーツを切り出すと、様々な「好き」が見えてくる。
「唇」「うなじ」「ふともも」「おしり」といったパーツや、「濡れたシャツの透け感」「白肌に汚泥」「下着の響き」などのシチュエーションに執着する人もいる。こうした他人の「好き」をカタログ的に横断することができるのが『写真とフェチ』である。
たとえば、青山裕企「スクールガール・コンプレックス」の、机に突っ伏している女の子を上から覗き込むアングルとか、制服で体操座りするが絶妙な角度&深度で見えないとか。あるいは、山本華漸「蛸と美女」が強烈だ。白キャミの女の子と巨大な蛸。黒バックに真っ白に浮かび上がる肌に、ねっとりと絡みつく触手が、たいへん葛飾北斎している。
他にも、剥き出た歯列、背中のくぼみ、黒タイツの響き、ひかがみといった様々な「好き」が次々と並べられており、嗜好の可能性は思考の可能性と軌を一にすることが分かる。つまり、好きに限界はないのである。官能と陶酔の感度を増やす写真集なり。
「好き」の概念に溺れろ。
放課後の優等生
笹森トモエ
放課後の優等生
今年のベストシコリティ。
昨年のクリスマスイブに公開した「このエロマンガがエロい!2017」のコメント欄で教えてもらったやつ(ありがとうございます!)。リビドーにモロに刺さるエロマンガですな。
同人作家として活躍していたのが、商業誌でも描き始めたようだ。圧倒的な画力のクオリティがものすごく高い。女の躰のきれいなラインが眼福眼福するだけでなく、男に都合よすぎるシチュ&キャラなので、安心して読める。
しかも(ここ重要!)、互いに「好き」なんだよね。「嫌よ嫌よも好きのうち」的な、なし崩し展開や寝取られセグメントもあるが、無理強い行為は勘弁な。笹森トモエ作品は、そういうのが無く、好きな男女が好きなだけ乱れるというやつ。あくまで好みの問題なのだが、これ大事。
概念としての巨乳、概念としてのムワっとしたニオイ、そして概念としての女体が美しい。概念としての黒髪清楚女子高生に搾り取られる男の子が羨ましすぎる。
うつくしくてうらやましい、シコリティ溢れる傑作。
幾日
幾花にいろ
幾日 【「咬合」1話無料サンプル付き】
今年のベストえっち。
圧倒的なリアル感が凄い。概念としての女を探しに2次元に向かったにもかかわらず、体温、体感、匂いと臭いが伝わってくる。画面から美とエロが放射する感じ。
ストーリーが一番良いなぁ。好きあう男女が一線を超えようとするときの引き合いの「えいやっ」といった思いが伝わってきてよい。ヘンにゲームな駆け引きやせず、(特に女性の)まっすぐに向かっていく素直さにニヤニヤする。
さらに、手腕のしぐさが自然できれい。一つ一つ、たしかにそんな「動き」をする、そういやそういう風な姿勢をしてる、と思い当たることしばしば(ここもリアルを引き出している)。
すごーくむかーしだけど、富樫『森の妖精のはなし』という、これまた傑作エロマンガがあったんだけど、この作品は下着や服のシワがポイント。ものすごく観察して描いており、シワがリアルを引き出している。それに比べると、『幾日』は腋や太ももから足にかけての皮膚のシワがリアルなり。
以上、今年わたしを幸せにした概念としての女でした。
よいエロ本で、よい人生を。
うなじにかかる後れ毛、鎖骨や背骨のしっとりとした盛り上がり、二の腕やふくらはぎの肌感、「あの気配」としか言いようのないフェロモンは好ましい。
さらに、ネコそっくりのくぐもった笑いや、サカリのついた艶やかな嬌声、触れるたびにトーンが変化してゆく概念も好ましい。女は楽器だ。腰の律動に応じた打楽器のようにも、手や口の運指により奏でられる弦楽器であり吹奏楽器のようにも振舞う。
しかし、現実はそれら以外もひっくるめての「女」である。言っただの言わないだのくだらないマウンティングや、機嫌を直すためのめんどくさい手続き、イライラの被曝・感情爆風の巻き込まれといった現実も漏れなくついてくる。
そんな現実をさっぴいて、概念のみを味わうのであれば2次元が良い。「女は2次元に限る」というのは、けしてリアルから目を背けているのではなく、概念としての女を楽しむための手段なのである。
一般にアブノーマルと判定される行為や、現実なら淫行条例に触りまくる相手の、「概念」とつきあうのである。「そんなの都合良すぎ、ないわー」というツッコミ上等。都合が悪いのは現実だけで充分だ。
そんな「概念としての女」を背景として、恒例となりつつある「えっちな本2018ベスト」をご紹介しよう。
写真とフェチ 視線のエロティシズム
花盛友里、須崎祐次、相澤義和、山本華漸ほか
今年のベストフェチ。
「概念としての女」のパーツパーツを切り出すと、様々な「好き」が見えてくる。
「唇」「うなじ」「ふともも」「おしり」といったパーツや、「濡れたシャツの透け感」「白肌に汚泥」「下着の響き」などのシチュエーションに執着する人もいる。こうした他人の「好き」をカタログ的に横断することができるのが『写真とフェチ』である。
たとえば、青山裕企「スクールガール・コンプレックス」の、机に突っ伏している女の子を上から覗き込むアングルとか、制服で体操座りするが絶妙な角度&深度で見えないとか。あるいは、山本華漸「蛸と美女」が強烈だ。白キャミの女の子と巨大な蛸。黒バックに真っ白に浮かび上がる肌に、ねっとりと絡みつく触手が、たいへん葛飾北斎している。
他にも、剥き出た歯列、背中のくぼみ、黒タイツの響き、ひかがみといった様々な「好き」が次々と並べられており、嗜好の可能性は思考の可能性と軌を一にすることが分かる。つまり、好きに限界はないのである。官能と陶酔の感度を増やす写真集なり。
「好き」の概念に溺れろ。
放課後の優等生
笹森トモエ
放課後の優等生
今年のベストシコリティ。
昨年のクリスマスイブに公開した「このエロマンガがエロい!2017」のコメント欄で教えてもらったやつ(ありがとうございます!)。リビドーにモロに刺さるエロマンガですな。
同人作家として活躍していたのが、商業誌でも描き始めたようだ。圧倒的な画力のクオリティがものすごく高い。女の躰のきれいなラインが眼福眼福するだけでなく、男に都合よすぎるシチュ&キャラなので、安心して読める。
しかも(ここ重要!)、互いに「好き」なんだよね。「嫌よ嫌よも好きのうち」的な、なし崩し展開や寝取られセグメントもあるが、無理強い行為は勘弁な。笹森トモエ作品は、そういうのが無く、好きな男女が好きなだけ乱れるというやつ。あくまで好みの問題なのだが、これ大事。
概念としての巨乳、概念としてのムワっとしたニオイ、そして概念としての女体が美しい。概念としての黒髪清楚女子高生に搾り取られる男の子が羨ましすぎる。
うつくしくてうらやましい、シコリティ溢れる傑作。
幾日
幾花にいろ
幾日 【「咬合」1話無料サンプル付き】
今年のベストえっち。
圧倒的なリアル感が凄い。概念としての女を探しに2次元に向かったにもかかわらず、体温、体感、匂いと臭いが伝わってくる。画面から美とエロが放射する感じ。
ストーリーが一番良いなぁ。好きあう男女が一線を超えようとするときの引き合いの「えいやっ」といった思いが伝わってきてよい。ヘンにゲームな駆け引きやせず、(特に女性の)まっすぐに向かっていく素直さにニヤニヤする。
さらに、手腕のしぐさが自然できれい。一つ一つ、たしかにそんな「動き」をする、そういやそういう風な姿勢をしてる、と思い当たることしばしば(ここもリアルを引き出している)。
すごーくむかーしだけど、富樫『森の妖精のはなし』という、これまた傑作エロマンガがあったんだけど、この作品は下着や服のシワがポイント。ものすごく観察して描いており、シワがリアルを引き出している。それに比べると、『幾日』は腋や太ももから足にかけての皮膚のシワがリアルなり。
以上、今年わたしを幸せにした概念としての女でした。
よいエロ本で、よい人生を。