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「ブラッドハーレーの馬車」に絶句する

ブラッドハーレーの馬車 「赤毛のアン」を陵辱する、心ゆさぶるストーリー。強く強く、めまいがするほど。

 はじまりは、孤児院。身寄りのない少女たちの憧れは、ブラッドハーレー歌劇団。1年に1度、容姿に恵まれたものが選ばれ、資産家・ブラッドハーレー家の養女として迎えられる。貴族としての生活や、歌劇団で華々しく活躍することを夢見る少女たち。

 本気で読む気なら、予備知識はこのくらいで。ただし、「劇薬注意」とだけ添えておく。帯の説明は地雷なので、外しておこう(わたしもそうした)。沙村広明版「キャンディ・キャンディ」のつもりで扉を開いた。おかげで、こうかはばつぐんだ。

 第一章を読む。

 みるみる顔色が変わっていくのが、自分でも分かる。心配した嫁さんがわたしの名前を呼んでいる。「ちょっとうるさい!黙ってて!」ふだんなら絶対に言わないような言葉を、強い口調で伝える。嫁さんも気色ばんでるみたいだが、かまやしない。

 ぜんぶ読む。自分を取り戻す。めまいはおさまったようだ。

 嫁さんに平謝りにあやまる。「こんなスゴいマンガがあってね」とか「でもこれは、オススメできないな、特に女性には」と、ストーリーをかいつまんで説明する。嫁さんは読まないことを約束してくれた…

 ところで人が壊れる話を書くとき、中心に据えられるのは、少女である場合が多い。破壊衝動を満たすためには、彼女たちの処女性や神性が格好のターゲットになるのだろう。少女たちの夢を被服とともに剥き去り、声すらあげさせず、あらゆる言葉と思考を奪い取る。乳首を噛み切るとか、目玉を抉り取るといった行為に象徴されるように、純粋な玩具としての一個の物体に近づける。その暴力性が存分に発揮できるのは、少女が性的に無知であり無垢であるから。いわゆる「壊しがいのある」というやつ。「ヒャッホーイ!」と叫びだしそうな喝采を飲み込むのに忙しく自分の狂いっぷりに愕然とする。

 さらに、破壊される少女にとどまらないのがスゴいところ。実際、少女を壊す話なら、劇薬マンガ・ベストなり劇薬小説・ベストにいいのを揃えてある。「真・現代猟奇伝」や「隣の家の少女」、あるいは「逆光の部屋」あたりが毒素強めだ。ところが本作だと、そのさらに向こう、少女の「絶望」をすばらしく美しく描いているわけ。ほとんど子供のような肉体が汚辱にまみれ、いままさに死のうとしているのに、その口で「希望」を語るわけ。「あと何日耐えたら…」と未来のことを話すんだ。どう見ても助からない状態なのに。自分すらあわれむことを止めてしまった少女を、かわいそうだと思わないではいられない。まさに死なんとするときでさえ、自分が犯したささやかな罪の告白と謝罪を受入れてくれと願う。絶望のさなかでも赦しを求める少女に、泣いた。

 長期・無期服役者へ「餌」を与える、ブラッドハーレーの「1/14計画案」については、以下を思い出す。

   アイルランドの貧民の子供たちが両親及び国の負担となることを防ぎ、
   国家社会の有益なる存在たらしめるための穏健なる提案

 貧乏人の子沢山なアイルランドの窮状を見かね、1729年にジョナサン・スウィフトが提案した強烈な諷刺だ。貧民には経済的な恩恵をもたらし、なおかつ人口抑制にも役立つ解決策なんだけど… 要するに「貧民の赤子を富豪の宴席へ供せよ」と謳っている。人間の赤ん坊は非常に美味なので、貴族は争って買い求めるだろうし、貧民にとっての口減らしにはうってつけというわけ。

 狂気の倫理と経済の論理が見事に混ざった傑作だが、「赤ちゃんは?」と問うてはいけない。本書なら「少女は?」だろうね。喰われる(犯される)ほうとしては災難以外の何ものでもないが、運命のレールを敷くほうはちゃんと理にかなっている。おそろしいほどに。おぞましいほどに。

 破壊される少女を淡々と眺めてもいい、彼女らの絶望と希望に涙してもいい、何の罪もない彼女を破滅させる「ルール」に暗澹とさせられてもいい。カラマーゾフのイワンが吐いた「神がいるのであれば、どうして虐待に苦しむ子供たちを神は救わないのか?」を繰り返し思い出す。少女たちの凄惨な運命に戦慄する一方、期限付き地獄の中で希望を見出そうとする彼女らが不憫で不憫でたまらない。苦しい、読むのがこんなに辛いなんて…

 で、翌日。嫁さんの顔色が悪い、しかも非常に。なぜ…?

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いいのがあったらご教授を。

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